「戦争の残虐性どこまで伝えるべきか」報道写真家らが議論 仏

報道規制が入ることで真実が闇に埋もれてしまう事件や事故が多数あります。こういったことを少しでもリアルに伝えたいと、紛争地で今も命がけでシャッターを切るカメラマンがいるのです。しかし実際に私たちの手元に届くと、色々なものに規制が欠けられて真実はほんの一部の身しか伝えられません。個人的には全て公開した方がいいのではないかと思っています。戦争はどのように恐ろしいモノなのか、もっと若い世代の人にも知ってもらう機会が、規制というの名の下で伝えられないと、、また同じ過ちが起きてしまうかもしれません。

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【AFP=時事】紛争を報道するとき、どこまで衝撃的なイメージを伝えるべきなのか──仏北西部バイユー(Bayeux)で開かれた「バイユー戦争報道特派員賞(Bayeux-Calvados)」のイベントで先週、熱い議論が交わされた。

トルコやアフガニスタン、スリランカ、インドの紛争や紛争後の問題を報じてきたインド人写真家、サミ・シバ(Sami Siva)氏は「難民たちが逃れてきた暴力を見せずに、彼らを受け入れるべきだと人々を説得できるだろうか?」と述べた。

しかしイラクのクルド人写真家、ユニス・ムハンマド(Yunes Mohammed)氏はこれに反論。暴力的な写真を報道することは、イスラム過激派の思うつぼだと主張した。「面白半分で人間の首を切断している子どもたちを見たことがある。暴力を使う者たちは力を誇示したいのであり、人々に心理的な打撃を与えるのに、私のような写真家が手を貸すのを待っている」

2014年の同賞では、トルコ人写真家のエミン・オズマン(Emin Ozmen)氏が撮影したイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」による斬首の写真が排除され、大きな物議を醸した。その決定についてはいまだに議論が続いている。

オズマン氏は世界報道写真財団(World Press Photo)の「世界報道写真コンテスト」で2度受賞したこともある。フランス人写真家のパトリック・ショーベル(Patrick Chauvel)氏は、オズマン氏の写真を支持した。「ダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)が斬首を行っていると報じながら、それを見せないことなどできない」と、ショーベル氏は語った。

今年も「メキシコで最も危険な街」とされるアカプルコ(Acapulco)のギャング抗争に関する展覧会で、この問題が議論の的となった。

「自分の倫理観から、暴力を受けた女性や子どもの遺体を見せることはできなかった」と、メキシコ人写真家のベルナンディノ・エルナンデス(Bernandino Hernandez)氏は述べた。代わりに、路上で発見された遺体の縛り上げられた足など「細部に焦点を当てた」という。

しかしショーベル氏は、すべてを撮影すべきだと主張し「集合的記憶のために、国際刑事裁判所(ICC)のためにすべてを撮らなければならないが、ただ、すべてを報道すべきではない」と述べた。一方「自分の名声のために行き過ぎた写真を撮る者もいる」と指摘した。

ビルジニー・グエン・ホアン(Virginie Nguyen Hoang)氏は、あまりにも残酷な写真は人々が目をそらしてしまうので、報道の責務を果たすことができないと述べた。「2013年8月、私はカイロ(Cairo)で起きた大量虐殺の現場を取材した。目の前で多くの人が血を流し死んでいったが、私が撮影したのは、喉にただ一つ、穴が開いた若者の遺体だった」

「その写真はショッキングではなかったが(虐殺の)痕跡を残すものだった。エジプト当局に訴えるものがあったはずだ」

【翻訳編集】 AFPBB News

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