<医療>麻疹抗体が消える謎

小さい頃に自分が麻疹の予防接種を受けているかどうかなんて記憶がないので分からない人も多いでしょう。また仮に予防接種を受けていたとしても、年齢と共に体のなかから抗体が少しずつ消えてしまうので、もう一度追加摂取が必要です。もちろんこれは任意の摂取なので必ず必要なものではありません。しかし少し前に妊婦が風疹を患うと奇形児が生まれる確率が高くなるということで、多くの妊婦やその家族に予防接種を受けるよう呼びかけが広がりました。その時に合わせて麻疹の摂取も進められますが、たいていの方が風疹だけの摂取を受けられるそうです。もちろん価格が違ってくるので不要な接種を受けることないという判断だと思いますが、今この当時に同時接種しておけばよかったという後悔の声が多く寄せられているようです。

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関西を中心に、麻疹(はしか)の感染者が急増しています。8月14日に千葉市の幕張メッセで開かれたジャスティン・ビーバーのコンサートに来場した男性が麻疹に感染していたことが24日に報道され、さらに30日には関西国際空港での集団感染について、空港を運営する関西エアポートが「空港内従業員の『麻しん(はしか)』感染について」というタイトルのプレスリリースを発表しました。こうした報道を受け、医療機関ではどんなことが起こっているのでしょうか。大阪市の太融寺町谷口医院院長、谷口恭さんに聞きました。

◇「MRワクチンをうっておけば…」

受付では鳴りやまない電話、診察室では後悔のため息……。9月前半の谷口医院の状況を表せばこのようになります。

関空の職員が多数麻疹に罹患したことが大々的に報道されると、関西の(そしておそらく関西以外の地域も)医療機関に問い合わせが殺到しました。谷口医院も例外ではなく、8月末から問い合わせが増えだし、9月に入ってからは電話が鳴りやまないような状態です。ワクチンの在庫は急速に減少し、ワクチン接種は当院をかかりつけ医にしている人のみとしましたが、それでも数日後には在庫が底を突いてしまいました。

一方、診察室では、若い男女から「こんなことになるなら、あのときに接種しておけばよかった……」という後悔の声が聞かれます。数年前からの風疹の流行を受けて、特に妊娠を検討している夫婦から風疹ワクチン希望の声が増え谷口医院で接種する人が大勢いました。声の主は、そうして風疹ワクチンを接種した人たちです。では、彼(女)らは何を「後悔」しているのでしょうか。

それは、なぜあのときに「風疹ワクチン」ではなく「麻疹・風疹混合(MR)ワクチン」を接種しておかなかったのだろう……、という気持ちになるからです。私は風疹ワクチン希望者のほぼ全例に「麻疹は大丈夫ですか」と尋ねるようにしています。妊婦が風疹に罹患すると、先天性風疹症候群と呼ばれる「奇形」を伴った赤ちゃんが生まれてくる可能性があります。「奇形」という言葉には大変なインパクトがありますから、何としてもワクチンをうたなければ、という意識が生まれます。

一方、麻疹には原則「奇形」はありませんから関心が薄かったのかもしれません。しかし、妊娠中の麻疹感染は、もっと悲劇的な結果をもたらすこともあります。胎児が助からない可能性があるだけでなく、母体も無事で済まないかもしれません。ですから、妊娠中に麻疹に感染することは何としても避けなければならないのです。私は、風疹ワクチン希望の若い男女に、それを伝えてきたつもりですが、私の力不足もあり、またMRワクチンよりも自己負担が少なくて済むことも関係していたのかもしれませんが、風疹単独ワクチンを選択する人が少なからずいたのです。

◇麻疹の抗体はなぜ消えた?

麻疹感染の報道が増えて以降、もっとも多く寄せられた質問は「子供の頃にワクチンをうったのに何で抗体が消えるの?」というものです。そのカギは、国内の麻疹感染者が減ったことにあります。

麻疹も風疹も、従来は1度のワクチン接種が生涯有効とされていました。ところが、これが正しくないことが2007年の日本での流行で明らかになりました。このときに一度ワクチンを接種したのに抗体が形成されていない人が大勢いることが分かったのです。当時の谷口医院で20代のワクチン希望者の抗体を調べたところ、2~3割の人にしか抗体がありませんでした。

では、形成されているはずの抗体がなぜ消えているのでしょうか。答えは「ワクチン接種後に病原体にさらされなくなったから」です。1970~80年代に、麻疹・風疹のワクチンは一気に普及しましたが、全員が接種していたわけではなく、感染者はそれなりにいました。風疹は飛沫(ひまつ)感染で近距離でないとウイルスに触れませんが、感染者は多数いました。麻疹の感染者は風疹より少なかったはずですが、こちらは空気感染ですから、同じ教室にいるだけでも病原体にさらされます。ワクチンを接種すれば体内で「抗体」が形成され、抗体があれば病原体が体内に侵入してきてもすぐに「敵」をやっつけてくれます。そしてこのときに抗体は、敵の次の侵入に備えて“防御態勢”をより確固としたものにするのです。抗体の強さを「抗体価」と呼びます。抗体価はある程度「敵」、すなわち麻疹や風疹のウイルスが体内に侵入してくることによって上昇するのです。

ところが、90年代頃から麻疹・風疹の罹患者が激減します。このこと自体はいいことなのですが、これまではある程度定期的に体内に侵入していた「敵」がやってこなくなります。敵がこなければ抗体価は次第に減少していき、ついに敵をやっつけることができないレベルにまで低下してしまいます。これが、ワクチンを接種していたのに麻疹・風疹に感染してしまう理由です(注)。現在は2回接種しても抗体がつかない場合もあると言われています。

◇麻疹の感染力は?

次に多かった質問は「麻疹はどの程度で感染するの? 空港に行ってもいいの?」というものです。

先に述べたように麻疹は空気感染ですから、ワクチンが打てない場合、予防はマスクでおこなうしかありません。風疹やインフルエンザのような飛沫感染しかしない病原体であれば、感染者に近づかなければ感染しませんが、空気感染の麻疹は感染力が強く、より慎重にならなければなりません。本当はN-95と呼ばれる結核などの予防に使うマスクがいいのですが、これは慣れていないと装着が困難で、またとても息苦しくなります(ちなみに結核も空気感染することが知られています)。現実的には「サージカルマスク」と呼ばれる医療用のマスクを用い、大勢の人が集まる場所に行くときは2枚重ねにするとさらに有効になるでしょう。

大勢の人が集まることを「マスギャザリング」と呼び、近年注目されています。世界的にはマスギャザリングはテロの標的になることがよく指摘されますが、実は感染症の領域でも重要な概念で、アウトブレーク(限定された範囲内での感染の大流行)の中心点になる可能性があります。マスギャザリングに相当するのは、空港の他、学校、コンサート会場、教会、地下鉄などの公共交通機関、ショッピングモールなど多数あります。

病院も立派なマスギャザリングです。そして我々の恐れていたことがついに起こりました。私の母校の大阪市立大学医学部付属病院の医師が麻疹に感染したことが発覚し、マスコミで報道されたのです。関西空港での集団感染が発覚したとき、まず私が感じたのは「なんで空港で働く人がきちんと対策をしていなかったの?」というものでしたが、なんと医師も対策が不十分だったのです。これは社会から非難されることになるでしょう。病院に行って麻疹に感染したなどということがあれば目も当てられません。

今回の麻疹騒動を通して、ワクチンの必要性、マスギャザリングのリスクを改めて検討してもらえればと思います。

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注:抗体価がある程度残っていれば、麻疹に感染しても症状が強く出ないことがあり、これを「修飾麻疹」と呼びます。症状が強くなければいいんじゃないの?と思う人もいるでしょうが、医師からみればとてもやっかいなものです。まず、症状が強く出ず、出ても典型的な麻疹とは異なりますから診断がつきにくいのです。通常の麻疹に比べて感染力は弱いとされていますが、それでも他人に感染させることもあります。もたもたしていると次々に感染者が増えていく可能性もあるのです。

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